いちブログ2号

いちブログの一は始まりのいち。すべてのことはいちからはじまる。思うままに文章を紡ぐ。

怠惰な自分について語ります。

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僕の性格は真面目。一見そう見えるけど、実はただただ怠惰な人間です。ほとんどすべてのことが面倒で、ブログタイトルにしても「なんとなく生きている、そしてこれからも」っていうものでやる気が感じられないと思う。

 

何故このような性格になったのか?と最近よく考えるので、今後このような性格を改める意味も込めてこの文章を書いていきます。

怠惰?いや、ただ生きる目的が無いだけ。

考えてみるに、僕はすべてのことに無感動だった気がします。高校生の時からそうだった。将来の希望とかどこに進学したいとか、とりあえず就職活動頑張ろうとか・・。そういった普通の人なら考えることを全く考えない、というより考えたくなかった。

ああ、唯一考えていたのは「漫画家になりたいな」とか、「俺って本当は頭いいんだぜ、勉強してないだけだ」とか中二病なことばかり考えていた。

それでも、思春期という言葉のとおり無駄なことばかり考えていた気がする。例えば宇宙の成り立ちとか、仏教の悟りとはどういう心境なのかとか、記憶術とか速読術とか能力開発系のことや明晰夢をどうにかしてみようとか、映画タイタニック分析して「くっそ、ジェームズすげぇ。俺も映画監督なりてぇ」とか・・・

宇宙の端から端まで届くロープ作って端っこ引っ張れば光より早く意思を伝達できるじゃんとか・・・

今考えるとこいつ馬鹿だろうと思うようなことばかり考えていた。

ニート、視線恐怖症時代を2年程経験し、そんなことも考えられない程脳みそ溶けたので、いい具合に肉体労働要員にはなることが出来き、生来の真面目さもあって仕事は取敢えず続けることが出来た。

周りは無骨な男ばかり。当然、ひ弱な僕は容赦のない罵声を毎日受けることになる。

ハンマーを投げつけられることもあったが、生きるために強くなれた。まあ、ペルソナを背負った気もするが・・・。

そのうち、現場監督みたいな仕事を任されるようになりとりあえず社会人と呼んでもいいだろうというレベルまではなれたのが僕という存在だ。

無価値というのは自分のプライドが許さないが、まあまあ、安い男になった。

結婚することが出来たのも、ただ俺のような男でもいいという彼女の懐の大きさがあってこそ。僕は何も決断してない

取敢えず人として10年は遅れている。精神年齢はやっと成人式を迎えたぐらい若造に過ぎない。これは、ネガティブになっているのでは決してなく、今までじじぃのような考え方をしていた反動のようなもので、若い内に経験しておくべき感慨というものが、今になって感じられるようになったためだ。

ブログというものを始めたのも、自分の考えというものを誰かに聞いてほしいという、ある種こどもの発想から来ている。

僕のこの幼い精神はまだ社会に完全に適合していないのかもしれない。

人の気持ちも良くわからない。僕は人が悩むところで悩まない。人生は一度きりだから精一杯生きなければならないという、当たり前のことも理解できていない。

言葉で理解というものがとても苦手なのだ。経験からしか、実感を得られない。人生が一度しかないという言葉は、経験して事のない事だから本当に分からないのだ。

代わりに、どんなこともやってみないと分からない!という確かな意思はある。だからやるといったことは、どんなに間違っていることでもやってしまう。

躓かないと分からないイノシシのような男だと思ってもらって差し支えない。

その反面、人が悩まないところでひとり悩む。人の気持ちが分からないから、勝手に想像して傷つけてしまわないか一人で怯えている。

人はそんなことではなく、何故僕が行動しないのかという事を気に掛けてくれているというのに。

結婚も僕は何も悩まなかった。この人と一生いるのが当たり前だと、勝手に思い込んでいた。相手は僕との結婚をすごく悩んだそうだ。

そういう自分の危うさに感覚で気づいていたから、僕は自分より頭のいい女性を好む。

メガネをかけている女性に異常にときめくのもそのせいかもしれない。(メガネをかけていると、知的に見える。アホ)

ブログを書くことは僕にとってなんなんだろう?

文章を書くことは、こころのデトックスという事以上に成長したいという単純な理由がある。このままでは恥ずかしくて生きていけないのだ。

本当のことを言うと、悩んでいると言いながら、僕は自分の悩みがなんであるかすら分からない。

嫌だなと思う事があっても、それを悩みと分類していない。別のことを考えてしまう。それは悩みを解決しようという意思を放棄していることだ。

嫌なことから目を背ける癖がついている。と言っていいかもしれない。普通であろう、良い人間であろうとするあまり、自分という人間の声に耳を傾けることを止めている。

自分の悩みなどただの甘えだと切り捨ててしまう思考形態が出来てしまった。

それは、僕の生い立ちにも関係してくるがそれはまた別の機会に。

きっと、ブログを書く機会が訪れたのは、もう人生の残り時間が半分位になったこの時に最後のチャンスとして与えられたものだろう。

ちゃんと自分の声を聴いて、それを人にも分かる文章で書くことで自分を知る。

そのために欠かせないツールになっていくと思う。

新しいことを始めたら、その時の気持ちを書いておくこと。

いつか読み返した時に、一生懸命ってどういう事か思い出せるようにしとかないといけない。

 

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