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いちブログ2号

いちブログの一は始まりのいち。すべてのことはいちからはじまる。思うままに文章を紡ぐ。

偏屈な性格。感覚人間なので人との会話が苦手です。

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僕は人の意見を聞くことがとても苦手。

理由は自分でも分かっていて、理論的に考えることが苦手で感覚で物事を捉えるタイプの人間だからだと考えています。

なぜ感覚的だと人の意見を聞きにくいかというと、人が言うことを理解するには過去の自分の経験をもとに、相手の言っていることが正しい事なのかどうか判断しようとしてしまうからだと思います。

それのどこがいけないかというと、理論的に考えられる人なら論理から相手が言っていることが正しいのか間違っているのか判断できるけど、僕は感覚頼みだから、自分が今まで経験したことで良さそうか悪そうかとしか判断できていない。

まるで子供のよう。

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嫌いな人の意見が聞けないじゃないか。

例えば、悪意をもって正論を振りかざす人は世の中沢山いる。

そういう人たちの意見は表面上は正しい事だから、反論することは出来ないし反論してもいけない。

むしろ積極的に聞き入れた方が良いくらいだろう。

でもやっぱり嫌いだから聞きたくないと思ってしまう、それって駄目なことだよね。

たとえ嫌いな人でも言っていることが正しいなら、自分の中に取り入れるべき。感覚だけで判断して排除していてはだめだ。

それに、人に嫌味を言うには良く考えて相手の弱みを的確に攻撃しないといけないので、かえってとても参考になることを言ってくれているとも捉えることが出来る。

「敵に塩を送る」ってこういう意味じゃないけど、近いものはあるよね。

話をするときも、相手が分かっているものと考えてはなし初めてしまう

思考回路が感覚的だと思い込みが激しくなる。

極端に言うと、自分の話をするとき相手がまるでお母さんの様に自分が言いたいことが分かってもらえるとどこか思っている節がある。

基本的なことでいうと主語や述語がないよね、ということはよく言われる。

人によって、話そうとしていることに対する理解度や知識度合は違うのだから、それに合わせた会話をしないといけない。

人によって話し方を変え無いといけない。

とまあ、確かに正論なんだろうけど、人と会話する時いちいち主語述語とか気にするかよ。とも思う。

話通じない人と話すのは苦手だ。

素直な人間にはなりたくない

僕はとても偏屈な人間なんだろう。

素直になるということがとても苦手で、表面上は素直に人の話を聞いている風を装っておきながら腹の中では納得していない。

結局は狭い料簡で、自分が納得することだけで判断しようとしている。

この文章を書きながらも、まあそんな性格もありかな?と思っている。

どうしようもない性格だ。

というのも人の意見を聞き入れてすべて人の言う通りにする。もしくは自己啓発書を読み漁って、書いている通りにする。

その結果出来上がるのは非の打ちどころのない完璧人間だろう。

其れのどこが悪いのか、感覚人間の僕には理由は説明できないけど、考えただけで痒くなる。

だからやっぱり僕はこれまで通り自分の感覚に従って生きていくのだろうなと、なんだか漠然と今考えている。

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